大学時代、サークルを途中で辞めた話

別れのとき 雑記

お疲れ様です。

今回は私の大学時代のサークルの話、

特に私が記憶に残っている

「サークルを辞めた(行かなくなった)話」

について書こうと思います。

なので、ただの昔話です。

本題に入る前にバックグラウンドを

自転車サークル(旅行系)に所属

私は自転車のサークルに所属していました。

(正確には「部」でしたが、書きやすいので)

競技ではなく、ツーリングのサークルで、

自転車に乗って日本のあらゆるところ、

あるいは好きな人は海外で旅をする、

そんなサークルです。

昔から自転車は好きだった

大学に入る前、つまり高校生のときから自転車自体は好きでした。

「自転車サークルに入った」と高校時代の友人に伝えると、

「やっぱりね」と言われましたので、

高校時代から周囲の友人たちにも話していたようです。

1~2ヶ月に一度の合宿・部室でおしゃべり

さて、サークルには新入生歓迎会を経て正式に参加、

大学1年生のときから積極的にサークル活動には参加していました。

細かい活動内容は本筋には関係ないので割愛します。

・1~2ヶ月に一度宿泊込のツーリング

・部室があったので、部室に立ち寄り空き時間におしゃべり

こんな感じです。

部室にはよく行っていたので、

主要メンバーというか、少なくとも幽霊部員ではありませんでした。

大学3年の6月までは。

本題

サークルに行かなくなった理由

なぜサークル活動に参加しなくなったのか。

・途中で人間関係がこじれた

・自転車に興味がなくなった

などということではありません。

理由は、

サークルの人たちが、自分自身・自分たちのことを

異常に卑下して見ていることが嫌になったからです。

もう少し噛み砕いて表現すると、

非常に自己評価の低い人たちの集団

ということです。

私がいかにしてそのことに気づき、

最終的に辞める判断に至ったかをこれから書きます。

(ここからの内容はかなり偏見かつ棘のある言葉に満ちています)

サークルにいた人達:いわゆる陰キャの人が多かった(自分含め)

まず、どんなバックグラウンドの人たちが多かったか。

これは完全に私の偏見、かつ雑な括りになってしまいますが、

陰キャと呼ばれるキャラクター

と言えば分かりやすいかと思います。

(ちなみに私も陰キャです。少なくとも陽キャではありません)

高校時代、いわゆるスクールカーストでは上位ではない、

クラスでは目立つほうではない、

そういう人が多かったように思います。

イメージのために書くと、

サッカー部や野球部、バスケ部、バレー部というよりは

卓球部、美術部とかそんな感じです。

(一般的な漫画とかイメージです)

一方、私はサッカー部、

非常に身勝手な言い方をすれば、

自動的にスクールカースト上位になれる集団に属していました。

(もう一度言いますが、私は陽ではなく陰です)

ちなみに、
私の中高はスクールカーストのようなものはなかった気がします。
少なくとも所属していたサッカー部は
上位ということではありませんでした。

実際自分の自転車サークルの同期にサッカー部や野球部の人は、

1人か2人ぐらいしかいなかったと思います。

きっかけは大学2年秋から始めたドトールでのバイト

そんなバックグラウンドが違う人達の中に所属した私。

今にして思えば、多少ギャップがあったような気もしますが、

大学2年生の夏頃までは普通にサークル活動に参加していました。

転機を迎えたのはバイトを始めた大学2年の11月頃。

ドトールでバイトを始めました。

(それまでは塾講師とレストランのホールスタッフをやっていました。
色々あってどちらも辞めてしまいました。)

バイト先の人は、普通の人達の集まりというか、

特別なことはありませんでした。

店長や、主婦の大人の方もいらっしゃいました。

バイト先とサークルの会話で差があることに気付く

そして、この特別ではない人たちの中に入って気づいたのです。

サークルの人達の会話、

サークル内で交わされる会話がやけにネガティブだと。

サークルの一人一人と話しているとあまり感じません。

しかし、複数人になるとネガティブになりました。

①俺らコミュ障、という潜在意識

例えばよく言葉の節々にそのニュアンスが含まれて

交わされていたことがあります。

それはコミュニケーション能力について。

サークルの人たちはよく

「自分たちはコミュ障だ」

と言っていました。

いや言ってはいなかったかもしれませんが、

そういうニュアンスが含まれる会話が多かったのです。

しかし私個人の意見として、

会話がおもしろい人はいましたし、

コミュニケーション能力が低いと感じる人は

いなかったように思います。

(そもそもコミュニケーションが取りづらい人は、
どの組織・集団にも一定数いるような気がします)

②俺らは陰キャ、そして陰キャはダメ

また、もう一つ言葉の節々に感じられたこと。

それはテニサーとの比較で、

「自分たちは陰キャ、彼らは陽キャ。

陽キャの彼らはすごい、自分たちはだめ」

ということ。

陽キャのほうが高校時代までは

たしかに色々有利だったかと思います。

でも陰キャがだめかと言われると、そんなことはなく。

少なくとも今社会人になって思うのは、

陰キャでも全然問題なく、また陽キャが会社内で上手くいっている、

ということもありません。

ただ、なぜかサークルの人たちは、

陽キャのほうがすごい、

という潜在意識があったように思います。

繰り広げられるネガティブな会話

サークルの人たちの

・コミュニケーション能力が低い(コミュ障)

・陰キャ

であるから私はサークルを辞めたのではありません。

自分たちは「ダメなやつら」という前提で

ネガティブな会話がされるのに耐えられませんでした。

なにより、そのネガティブな会話・意識に染まっていくのが怖かったのです。

バイト先では至って普通の楽しい会話がなされるのに、

サークルではネガティブな会話が多い。

そしてネガティブな会話は楽しくない。

そして別れのとき

ネガティブな会話は、悪口に近いかと思います。

悪口は言われるのはもちろん疲れますが、

言うのも精神的に悪影響があると思います。

徐々にそのことに気づき、

そして大学3年生の春、

最後に自分が幹事を任されていた合宿を仕切り、

それ以降サークル活動に一切参加せず、

および部室に行くことをすぱっと止めました。

で、結局何が言えるのか

1つの組織・集団に所属するのは危険

私が実際にそのネガティブな環境に長く居続け、

自分の中でなにが変わってしまったのか、

あるいは変わっていないのか、分かりません。

ただこの経験から言えること、

それは

組織・集団に1つだけ属していると、

徐々にその組織の空気・雰囲気に染まり、

本来ありたい自分の姿を見失ってしまう可能性がある

ということ。

ポジティブな人間(思考)でいたいと思う

私自身は別にポジティブ人間でもネガティブ人間でもないと思っています。

しかし、ネガティブであるよりも、

ポジティブでありたいとは思っています。

少なくとも自分に、

過信ではない自信を持って生きたいと思っています。

そういった考えを私は持っていたので、

自転車サークルには居続けられませんでした。

これは「ドトールのバイト」という組織に

入ったからこそ気付けたことだと思います。

いち組織の中の当たり前は社会の当たり前ではない

よく言われることですが、

組織・集団に1つしか所属していないと、

その中のルールが当たり前だと思ってしまう。

会社なんかまさにその典型例だと思います。

  • 上司への説明
  • メールの送り方
  • 職場環境、福利厚生
  • 資料の作り方
  • 打合せの進め方

などなど、社内では当たり前でも、

他の会社では当たり前でないことがたくさんあります。

でもいつの間にかそのやり方・考え方が染み付いてしまい、

他の発想が出てこない。

だからこそ中途入社の人は新しい風を吹かせることができるし、

あるいは転職する人は新しい知見を得ることができる。

この経験から学んだこと:複数の組織に所属しておくことが大事

なるべく複数の組織・集団に属しておくのが大事だということ。

  • 自分のありたい姿
  • 普通の姿
  • 居心地の良い人間関係

そしてなにより、

  • 幸せになれる環境

を見つけるためには大事なことだと思います。

社会人は複数の組織に所属するのは難しいけれども。

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